ノギラク西葛西出版


【謎の方言、葛西弁】

 

 はじめまして。西葛西出版代表の中村慎太郎と申します。

 記事タイトルにある「ノギラク」なる謎の単語は、「のんき者」を意味する葛西の方言です。方言といっても使っている人はほとんどいません。昭和末期に生まれた私にとっても葛西弁はほぼ馴染みがなく、中学か高校の頃に葛西弁の話者が2〜3人しか残っていないというのを聞いたのみです。葛西弁については彦田信義さんが『わが町葛西の方言』という自費出版の小冊子にまとめていて、江戸川区立図書館の電子アーカイブとして読むことができます(Link)。

 「ノギラク」という言葉を使って育ったわけではないですが、1世代上の方なら聞いたことがあるのかもしれません。生まれ育ち、日々過ごしている葛西・西葛西の街においても、まだまだ知らないことがあります。地域は「宇宙」のようなものです。何気なく通過してしまう一つ一つの地域をじっくり観察して、耳を澄まし、優しく愛でていくことを大切にしたいと思っています。

 地域における生活や文化に着目しながら、ノギラクのクイタムシ(食いしん坊)が西葛西に集まって、文化活動をしていく。それが西葛西出版です。

東京の

東にあるのに

西葛西

 

 23区の中でもっともマイナーな部類に入り忘れられがちな江戸川区。その南部が葛西・西葛西地域です。西葛西にはインド系の方が多く、美味しいカレー屋さんが多いのですが、それ以外は都心の縁辺部にある普通の住宅街です。渋谷、新宿、六本木、銀座などワールドクラスの街が立ち並ぶ東京において、マイナーな街であることは否めません。

「ツンと鼻につくスパイシーなにおい。異国の地インドの香り、ほんのりと潮風のにおいがする。最も東京でインド人が多く住み、海が近い場所。」(映画『翔んで埼玉』における東京テイスティングより)

 映画『翔んで埼玉』において、東京の中でもこのように紹介されていました。

 とはいえ、普通という言葉で片付けてしまうには快適すぎる街でもあります。スーパーマーケットだらけなので価格競争が激しく、公園も非常に多いのでとても暮らしやすいところです。大きなホームセンターもあるし、美味しいお店も増えてきました。最近は落ち着いたバーまでできています。葛西臨海公園では海を眺めながらビールを飲むこともできますし、300種以上の野鳥が観察されるバードウォッチャーの聖地でもあり、ハヤブサ、オオタカ、アリスイ、クイナ、コミミズクなどのレアバードを観察したこともあります。

 交通の便も極めて良く、東関東の要衝といってもいいと思います。東京駅まで東西線で15分、羽田空港と成田空港にもシャトルバスが出ていて、首都高速の乗り口は2つもあります。常磐道、東北道、東関東道にも出やすく、渋滞する時間を避ければ東名高速、中央高速にも出やすいです。唯一、車で関越道に出づらいのは難点で、長野、新潟、石川などに行きたいときは、東京駅から北陸新幹線に乗ることをお勧めします。

 葛西・西葛西は、私が生まれ育った町です。愛すべき自分の街。ここには思い出が溢れています。確かに、イメージはそれほど良いとは言えません。実際、昭和の頃はヤンキー漫画のような光景が目につきました。しかし、平成、令和となり、ヤンキー姿のお兄さんたちは普通のおじさんになって、葛西・西葛西も少しずつ都会の街並みになってきました。

 とても良い街だと思います。でも、40年間この街に住んできて痛感していることがあります。

「この街は発信力が弱い!!」

 だから、日本中の人、世界中の人は西葛西という名前を知らないし、どんな街かもわからないことでしょう。「西葛西ってどこですか?」と聞かれて、「ディズニーランドの隣です」というとわかってもらえますが、一抹の虚しさもあります。本当は西葛西と言うだけでわかってほしいところです。

 知られていないならば、知らせてしまおうではないか!!葛西・西葛西に秘密の発信基地を作って、この街の魅力を発信しよう!!

 いやいや、自分の街の話をするだけではありません。日本全国、世界各地、日々を過ごす街への愛を探しに行こうと思います。そして、それを「本」にしていこうと思います。「本」というのは便利なもので、しっかり作ると1000年単位で未来へと継承されていきます。西葛西出版の本が未来人にも読んでもらえるように、文化を紡いでいこうと思います。

 東京の東の果ての西葛西!!

 ここを文化の発信地にしよう!!

 西葛西出版、誕生!!

【この街に潜む珍獣ニシカサイペンギン】

 このペンギンはニシカサイペンギンといいます。実は葛西・西葛西は東京都内でも有数のペンギンの多い街です。我らが行船公園の自然動物園にはフンボルトペンギンがいますし、臨海公園の水族園にはフンボルトペンギン、イワトビペンギン、ピグミーペンギン、オウサマペンギンがいます。


 臨海公園水族園のペンギンの餌やりは大迫力なので、お子様にもお勧めです。小柄なフェアリーペンギンはデートで見るのも最適ですよ。街を探すとペンギンマンホールもあります。そういえば、脱走したペンギンが荒川を泳いでいたこともあります。


 いつしかペンギンに占拠されそうになりつつある街の片隅で、文化的な意識が高まったペンギンが中葛西にあるオフィスに住み着いて働きはじめました。現在は、オフィスの入り口で警備をする仕事をしています。

 ちなみに、本当にペンギンを飼おうと検討したこともあります。

 しかし、ペンギンは懐かず、鳴き声が非常にうるさいそうです。しかも、餌が魚なので非常にめんどくさい上、泳げるプールが必要とのこと。さらに、時折足をマッサージしてあげないとバンブルフットという病気になってしまうそうです。価格もオウサマペンギンのような大型種の場合は1000万円くらいするそうです。さすがに無理です。諦めました。


 ペンギンは遠くから見るもの、私たちの心の中に生きるもの……。

 そう、あなたの心の中にもニシカサイペンギンはいるのです。

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 西葛西出版は皆様との接点を持つことを強く意識しています。我々は多くの人と交わり、意見を交換しながら進んでいくやり方が好きなのです。だから、なるだけ多くの方と交流できる場を作っていこうと思います。

 西葛西出版オフィスは近隣の迷惑にならない規模ではありますが、バーベキューをすることもできます。飲み会も定期的に開催しようかと思います。もちろん、ただの飲み会にはせずに、誰でも参加できるものの、少しだけ知的な風が吹く、小粋な集まりにしたいと思います。

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【社長中村慎太郎】

 紙面があまったので私のことをご紹介させていただきます。略歴と西葛西出版の設立までのストーリーです。

・偏差値30から東大へ

 葛西に生まれ、葛西小学校、葛西中学校に通っていました。葛西中学の時は立派な落ちこぼれで120人中110位くらいの成績になったこともあります。そして、両国にある私立安田学園高校普通科へと進学。そこでも落ちこぼれて、高校2年で英検4級に落ちたり、赤点7つをとって留年の危機に陥ったりしました。

 さすがにそれではだめだなと思って心機一転大学受験の勉強をし始めたのですが、偏差値は30台、高校三年生で「I,my,me」からやり直すことになったのでどうにもならず。すべて不合格。

 1浪。早慶上智を目指すと宣言して勉強に明け暮れるもすべて不合格。失意の底で2浪もするからには東大受験をしよう!と思い立ちます。数学1A・2Bをほぼ独学で学ぶという荒技をこなしつつ、年間の休日は3日程度で、1日16時間机に向かった結果、何と合格!東京大学文科Ⅱ類に進学。

・東大から東大大学院でアワビの研究生活へ

 東大に入って順風満帆な人生になるかと思いきや、単位取り合戦に壮絶な敗北をし、学部を卒業するのに7年かかる。凶悪な就職氷河期に戦意喪失していたこともあり、大学院に進学。にわか勉強で理系に転じ、東京大学海洋研究所(農学系)に進学し、アワビ類の行動比較の研究を始めました。

 それなりに優秀な成績を収めていたのですが、東日本大震災を機に研究者を続けるよりも、もっとダイレクトに人を楽しませることができる仕事のほうが良いと考え、博士課程2年で中退しました。思えば6歳から31歳までの25年間も学校にいたこともあり、学校をやめてどうやって働いたらいいのか検討もつきませんでした。今思うとハローワークに行けば良かったのですが、ずっと学校にいるとその程度の知識もつきません。

 唯一できそうだと思ったのが「物書き」の仕事。「ライター募集」というキーワードを検索し、WEBライターになりました。単価の低い記事を量産する日々がはじまりました。高いものでも1記事1000円、安いものでは1記事70円という仕事をこなしつつも、さすがにこれを続けていても先がないと思い、仕事は仕事でしつつ自分が書きたいことを全力でブログ「はとのす」(更新停止中)に書くことにしました。

<当時の記事(2013年9〜11月)>

「誰が風を見たでしょう」風立ちぬの名言から宮崎駿の真のメッセージを読む

スペインのバスケットボール育成コーチ“セルヒオ”の視点

Jリーグを初観戦した結果、思わぬことになった。

2013年ナビスコカップ決勝、浦和レッズのゴール裏にて。

 段々とブログ記事読んでもらえるようになり、「Jリーグ初観戦記事」は2日で10万ページビューを記録するバズヒットとなり、全国各地のサポーターから「Jリーグを見に来ませんか?」という声を多数頂くようになります。そこから始まる一連のJリーグ観戦記が好評を博し、『サポーターをめぐる冒険 Jリーグ初観戦をした結果、思わぬことになった』(ころから)という書籍になりました。

 この本がサッカー本大賞2015を受賞したこともあり、どさくさに紛れて肩書きを「作家」に変えました。ここからは順風満帆な作家人生になるはずだったのですが、なかなか次回作が出せず、家事と育児にも忙殺されていきます。実家暮らしではありますが、文筆業の収入ではまったく足りなくなってしまいました。

・渋谷の書店員に

 ある日、渋谷道玄坂を歩いているときにブックカフェがあるのを発見しました。そこはBOOK LAB TOKYOという書店・カフェ・イベントスペースをミックスしたお店で、そこで執筆をしてみるとびっくりするほど捗りました(退職後に経営を譲渡、現在は廃業)。書店に勤めてみるのも勉強になりそうだと閃き、お店の中から求人フォームに応募しました。

 書店員としての仕事はとても大変です。一言でいうと段ボールとの格闘です。本はとても重いし、その重い本をバックヤードで延々と梱包する必要があります。またPOSレジが導入されていなかったため、在庫はすべてExcel管理。最終的にはお店にある書籍と売れた部数をすべて暗記していました。

 ただ、どんなに頑張っても本を売るだけでは経営していくのは難しいです。というのも本はなかなか数が売れず、売れたとしても歩率が低いためなかなか利益が出ません。そのためカフェやイベントで売り上げを取って行く必要があるのですが、客単価の低いカフェは飲食店の中でも経営が難しい業態ですし、イベント運営も非常に労力がかかります。経営者は、現場の努力が足りないから売り上げがあがらないというような主張をしていましたが、現場目線で言うとそもそもビジネスモデルが間違っているのではと思いました。

 どうやってもうまくいかない店舗の中で、カフェなどの飲食がやりたい店長と、書店をやりたい私は何度も何度も話し合いました。しかし、どうにもならず。体調を崩した店長はお店を去り、その半月ほど前に私も退職を勧告されました。そして書店は新しい経営先へと譲渡されます。よく喧嘩もした店長でしたが、あの時の議論が今の経営観のベースになっています。最後に会った日は堅く握手して別れました。

 経営の見通しが良くないと現場は本当に苦労します。我々は魂を削って、お店やお客様のために戦い続けました。バイトの子も本当に頑張って手伝ってくれました。そのときのバイトの子が、とてもいい本だから是非入荷してくださいとお勧めしてくれたのがRiCEという雑誌で、この雑誌を立ち上げた編集者さんと西葛西出版を作ってから出会った時はとてもうれしかったです。この本は、英語の記述もあったので、ecbo cloakという荷物をカフェに預けるサービスを利用する外国人観光客の方によくお勧めしていました。

 書店はとても魅力的な場所です。しかし、現在はすごい速度で減少しています。どのくらいの速度かというと毎年300〜500店舗くらいはなくなっています。25年前は2万店舗くらいあった書店は今は9000店舗くらいになっています。書店と書店員にとっても良い本、売りたくなる本、経営に貢献できる本を作っていくという西葛西出版の姿勢に反映されています。また、あの頃多くの出版社の方と話しながら、本を売るための工夫を続けたことも今に繋がっています。

 

40の壁に抗えずタクシードライバーに

 その後「旅とサッカーを紡ぐウェブ雑誌OWL magazine」を創刊するも、他の著者の原稿料を払うのが精一杯で自分の収入は皆無。そして受注するライターの仕事も、40歳が近づくにつれて段々と減ってきました。フリーランスの仕事が40歳前後に減っていくことを「40の壁」というようです。

 文筆業は続けたい。しかし、収入が足りない。物書きと両立できる仕事を探そう。そう思って見つけたのがタクシードライバーの仕事でした。月12回、1回21時間の過酷な勤務がはじまりました。タクシーを続けながら、東京の様々な街を走り抜けるのは楽しかったのですが、すぐにコロナ禍になってしまい、ゴーストタウンと化した街をドライブするだけになってしまいました。タクシードライバー業は歩合制であるため、収入も落ち込みました。

コロナ禍初期に書いた記事>

タクシードライバーが見たコロナショック 失われた「稼げる仕事」というアイデンティティ

氷河期世代・東大卒タクシードライバーがみる「コロナで死んだ街」東京に残る希望

 

・タクシードライバーから経営者へ

 どこへいってもお客さんがいない夜の東京。走り回るのもしんどいので、一発狙いで銀座1号のショットガンに並ぶことが多くなりました。ショットガンというのは正式な名前で、築地にあるタクシープールから銃弾のように銀座8丁目へとタクシーが撃ち込まれていく様を表現しています。この乗り場に入ると1〜2時間は自由に考え事ができます。そこで考えました。タクシーは楽しい仕事ですが今は稼げません。そして、体力的にもかなり厳しいです。事故や違反のリスクもあります。

 幸い考える時間があったので、自分が本当にやりたいことは何なのかを考えました。そして、出版社を作ったらやりたいことがやれるのではないかと思い立ちました。そこからはショットガンで調べ物をする日々が続きます。経営のために必要な勉強はすべてタクシーの中でしました。

 OWL magazineのみんなの協力もあり書籍作りも順調に進み、9月2日に西葛西出版を創業。代表取締役に就任しました。この時はまだタクシーも乗っています。書籍作りも順調に進み、10月には『サッカー旅を食べ尽くせ!すたすたぐるぐる埼玉編』を出版しました。


 タクシーに乗りながら起業と出版を同時にこなすのは難しかったため、現在は休業していますが、会社が落ち着いたら復帰したいと思います。タクシーはとても面白い仕事なのです。

・西葛西出版の名前の由来

 最後に西葛西出版の名前の由来についてご説明します。私は、地域密着を理念として掲げ、日本全国に根付こうとしてるサッカーのことが好きで、ずっと執筆テーマとしてきました。 サッカー旅を通じて日本全国を旅しました。日本代表を追ってブラジル、カンボジア、シンガポールにも行きました。その中で、サッカーという競技そのもの以上に、日本全国の地域に魅力を感じてきました。地元の名前を冠したサッカークラブは「地元愛」を表現するツールとして最高のものです。

 Jリーグが掲げる地域密着の理念を援用し、愛する地元である葛西・西葛西の名前を冠した出版社を作りました。西葛西出版があることで、葛西・西葛西の認知が広がり、この街の魅力が少しでも伝わってほしいという思いを込めています。同時に、日本全国、世界各地の「地域」に着目して本を作っていくという理念も表現しています。

 ここまでお読みいただきありがとうございます!!

このくらいの体重に戻りたい

中村慎太郎

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